中小企業庁が2026年6月26日に公表した調査によれば、中小企業のコスト上昇分の価格転嫁率は54.2%。しかしコスト要素別に分けると、原材料費55.7%・労務費50.0%に対し、エネルギーコストは48.9%と最も低い。電気代が上がっても、それを製品価格に乗せるのが一番難しい――この数字は何を意味するのか。答えは単純な「企業努力不足」ではない。電気料金の値上げそのものが、燃料費調整制度・再エネ賦課金・容量市場拠出金という「毎年動く3層構造」の上に、2026年度から本格稼働したGX-ETS(排出量取引制度)という新しい負担が重なり始めた複雑な仕組みの結果だからだ。本稿は「エネルギーコスト転嫁率48.9%」という一つの数字から出発し、その背景にある制度を一段ずつ逆算してたどる。
中小企業とエネルギーコストの要点数値(2026年8月時点・一次資料)
48.9% エネルギーコストの価格転嫁率(中小企業庁2026年3月調査・原材料費55.7%・労務費50.0%より低い)|4.18円/kWh 2026年度の再エネ賦課金単価(初の4円台・標準家庭で年20,064円負担)|300〜400社 GX-ETS(排出量取引制度)の直接対象事業者数(2026年度本格稼働・中小企業は対象外)|未定 電気・ガス料金支援の2026年10月使用分以降の継続(2026年7月28日時点)
「エネルギーコスト転嫁率48.9%」という数字から逆算する——中小企業はどこまで電気代を価格に乗せられているのか
経済産業省・中小企業庁が2026年6月26日に公表した「価格交渉促進月間(2026年3月)」フォローアップ調査(受注側中小企業30万社に配布・回答69,625社)によれば、コスト上昇分に対する価格転嫁率は54.2%で、前回(2025年9月)の53.5%から約1ポイント改善した。しかしコスト要素別に見ると、原材料費55.7%・労務費50.0%に対し、エネルギーコストは48.9%で最も低く、前回からほぼ横ばいだった。「価格交渉が行われた」割合は90.7%まで上昇しているにもかかわらず、エネルギーコストという項目だけがなぜ足踏みしているのか。この一つの数字を起点に、電気料金という制度そのものを下から逆算していく。なお本稿では、この中小企業庁調査(受注側中小企業対象・取引先との交渉ベース)と、別途帝国データバンクが実施している価格転嫁調査(全業種対象・自社の総合的なコスト認識ベース)は調査主体・対象・算出方法が異なる別の調査であることをあらかじめ明記しておく。
逆算ステップ①:なぜ電気代は上がったのか——燃料費調整制度と、2023年に刻まれた「1年で4割増」の記憶
日本の電気料金は、基本料金・従量料金に加えて「燃料費調整額」が毎月変動する仕組みになっている。燃料費調整制度は、原油・LNG・石炭の輸入価格(貿易統計)を基準燃料価格と比較し、その差額を1kWhあたりの単価として毎月の電気料金に自動的に反映するもので、企業側が交渉で動かせる余地がほとんどない。この制度の「痛み」が最も強く表面化したのが2022〜2023年だった。帝国データバンクが2023年4月に実施したアンケート(有効回答1,097社)によれば、電気料金の総額は1年前と比べて平均39.4%増(約1.4倍)に達し、増加した企業は93.6%に上った。それに対して「全く価格転嫁できていない」と答えた企業は57.2%と6割近くを占め、価格転嫁率はわずか14.9%にとどまった。この2023年時点の数字は現在の状況そのものではないが、「電気代は上がっても価格に乗せにくい」という構造が、この危機のときにすでに刻まれていたことを示す原点として重要である。
逆算ステップ②:政府の”痛み止め”はいつまで続くのか——電気・ガス料金支援、2026年7〜9月で終わりが見えない
政府はこの負担を和らげるため、2023年1月使用分から「電気・ガス料金支援」を断続的に実施してきた。経済産業省・資源エネルギー庁の公式説明によれば、名称や実施期間を変えながら、2023年1〜12月(令和4年度)、2024年1〜5月・8〜10月(令和5年度)、2025年1〜3月・7〜9月(令和6年度)、2026年1〜3月・7〜9月(令和7年度)と続けられている。直近では、2026年5月25日の高市早苗総理大臣の記者会見で、中東情勢の緊迫化を踏まえた燃料輸入価格上昇への対応として、2026年7〜9月使用分の支援方針が表明され、5月26日の閣議決定で令和8年度当初予算の予備費から5,135億円を活用することが決定した。この予備費は、6月5日に成立した令和8年度補正予算(歳出総額約3兆1,135億円)によって1兆円に復元されている。値引き単価は低圧(一般家庭・小規模事業者)で3.5円/kWh(7・9月分)・4.5円/kWh(8月分)、高圧(中小企業を含む事業者)で1.8円/kWh・2.3円/kWhで、申請は不要。ただし特別高圧契約(大規模工場等)は対象外である。2026年10月使用分以降の継続は、2026年7月28日時点で政府から発表がなく未定のままだ。過去にも2025年9月使用分でいったん終了し、2026年1月に再開された前例があり、「いつ終わるかわからない支援に依存した価格設計」が中小企業の経営計画を難しくしている。
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逆算ステップ③:下がらないコスト——再エネ賦課金4.18円/kWhが示す構造的な上昇圧力
政府支援が上下に動く一方で、構造的に上がり続けているのが再エネ賦課金である。経済産業省は2026年3月19日、再エネ特措法に基づき2026年度の賦課金単価を1kWhあたり4.18円と発表した。前年度(2025年度)の3.98円から0.2円の引き上げで、制度開始以来初めて4円台に乗った。標準家庭(月間使用量400kWh)の負担は月額1,672円・年額20,064円で、前年度より年960円増える。国民全体の負担見込みは年3兆2,012億円で、2年連続で3兆円を超えた。適用期間は2026年5月検針分から2027年4月検針分まで。再エネ賦課金は使用量に比例して電気料金に上乗せされる仕組みのため、24時間稼働の工場や冷蔵設備を持つ事業者ほど負担額が大きくなる。電気・ガス料金支援は数か月単位の時限措置だが、再エネ賦課金は毎年度見直されながらも下がる年がほとんどなく、中小企業の電気料金の「土台」を年々押し上げている構造的な要因になっている。
逆算ステップ④:GXという新しい負担——GX-ETSは2026年度に何を始めたのか
ここに2026年度から新たに加わったのがGX-ETS(排出量取引制度)である。経済産業省の公式説明(2026年7月16日最終更新)によれば、二酸化炭素の直接排出量(Scope1)が前年度までの3年度平均で10万トン以上の事業者を対象に、この制度を2026年度から本格稼働させた。対象は300〜400社程度と見込まれ、これらの事業者の排出量合計は日本の温室効果ガス排出量の6割近くに達する。対象事業者は排出枠を割り当てられ、実績量と同量の排出枠を保有する義務を負い、2026年9月30日までに届出が必要になる。中小企業の大多数はこの10万トンという基準に届かず、制度の直接対象にはならない。ただし、電力会社自身が対象事業者に含まれる可能性があり、発電事業者の排出枠取得コストが電気料金に反映される経路や、サプライチェーンを通じて大企業の取引先である中小企業に排出量データの提供・削減協力が求められる可能性は残る。「GXは大企業だけの話」と切り離して考えるのは早計で、電気料金というかたちで間接的につながっている。
なぜ「原材料費」より「エネルギーコスト」の転嫁が進まないのか——48.9%という数字の内側
逆算ステップ①〜④で見た通り、電気料金は「毎月変わる燃料費調整額」「年度ごとに上がる再エネ賦課金」「時限的な政府支援」という3つの動きが複雑に絡み合う。帝国データバンクが2026年7月に公表した調査(対象22,572社・調査期間6月17〜30日)によれば、エネルギー価格の上昇が経営に「マイナス影響」を与えていると答えた企業は89.4%に達し、5割近くが利益の減少に直面していた。中小企業の現場からは「価格転嫁ができない中小企業にとっては、大きな利益の減少につながっている」(建設業)、「店舗の電気代や空調費が増加しているが、商品価格への転嫁は難しく、価格を上げれば客離れ、据え置けば利益減となる」(専門商品小売)という声が寄せられている。原材料費は「仕入価格が上がった」という単純な因果関係で発注先に説明しやすいのに対し、電気料金は「なぜ今月はこの単価なのか」を毎月説明し直す必要があり、交渉の材料として使いにくい。これが、原材料費55.7%・労務費50.0%に対しエネルギーコストが48.9%にとどまる背景にある構造的な事情である。
業種で全く違う痛み——町工場・食品工場・印刷業に共通する「基本料金という重さ」
電気料金の負担は業種によって現れ方が異なる。契約電力(kW)に対して基本料金がかかる仕組み上、稼働率(負荷率)が低い中小の町工場ほど、使用量が同じでも基本料金の負担が相対的に重くなりやすい。24時間稼働が前提の食品工場や印刷業は、冷蔵・冷凍の温度管理(食品衛生法上、電気代を理由に温度設定を緩めることはできない)や輪転機のベースロードがあり、使用量そのものを大きく減らしにくい。金属加工・めっき業では、脱炭素規制への対応で熱処理炉を重油から電気炉へ転換する動きが進むほど電力使用量が増え、再エネ賦課金の負担も比例して増す。大同生命保険が2026年3月度に実施した中小企業経営者アンケートでは、直近1年で上昇したコストのうち「最も負担が大きい」と回答した企業が最も多かったのは仕入価格(38%)で、次いで原材料費・人件費(各19%)だったが、価格交渉を「依頼したが応じてもらえない」「関係悪化を懸念し交渉を行っていない」と答えた企業が合計2割に達し、特にサービス業では「転嫁できていない」が5割弱に及んだ。電気代は業種を問わず共通の負担でありながら、交渉の材料にしにくいという点で、どの業種にとっても「見えにくいコスト」になっている。
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GX経済移行債20兆円は中小企業まで届いているか——省エネ投資支援という”もう一つの逆算”
政府は電気代そのものを下げる代わりに、使用量を減らす投資を後押しする方向でもGXを進めている。GX推進法に基づき、2023年度(令和5年度)から2032年度(令和14年度)までの10年間で20兆円規模の「GX経済移行債」が発行される計画で、2024年2月からは個別銘柄「クライメート・トランジション利付国債」として発行が始まった。財務省・内閣官房の公式資料によれば、2023年度発行分(1兆5,947億円)は2024年度末までに全額の資金充当が完了し、2026年度(令和8年度)は1兆円の発行が予定されている。この財源を使った中小企業向けの実務的な支援として、環境省「SHIFT事業」(2026年度公募は6月12日〜8月26日・CO2排出量15%以上削減等が条件)や、経済産業省・SIIの「省エネ・非化石転換補助金」(設備単位型は2026年6月1日〜7月9日に2次公募・中小企業者等も補助対象)がある。税制面では「カーボンニュートラルに向けた投資促進税制」が令和8年度税制改正で適用期限を2年延長し、2028年3月末まで有効になった。ただし同じ改正で税額控除率も見直され、中小企業者等の優遇枠は従来の最大14%(炭素生産性向上率17%以上が条件)から最大10%(同22%以上)へ縮小されている。旧制度下(令和6年度)の適用件数は税額控除5件・特別償却0件(総務省資料)と少なく、20兆円という規模の割に中小企業の現場まで浸透しているとは言い切れないのが実情である。
数字の見え方の落とし穴——「電気代が上がった分、値上げすればいい」が通らない理由
電気代の話を初めて担当する若手が陥りやすい誤解が二つある。一つは「電気代が上がった分だけ、そのまま値上げすればいい」という発想だが、中小企業庁の調査が示す通り、価格交渉が行われた割合は90.7%まで高まっているのに、エネルギーコストの転嫁率は48.9%にとどまる。交渉の場に立てても、発注側に「なぜ電気代なのか」を毎月説明し続けるコストがかかり、原材料費のように一度の説明で済まないのが実情だ。もう一つは「電気・ガス料金支援があるから、当面は値上げしなくていい」という発想だが、この支援は2026年7〜9月使用分という時限措置で、10月以降の継続は未定のままである。支援が切れた瞬間に燃料費調整額と再エネ賦課金だけが残る「谷」が生じるリスクを見落とすと、価格交渉のタイミングを逸してしまう。電気代は「一度上がったら終わり」の単発コストではなく、毎月変わる制度・毎年上がる制度・時限で切れる制度が重なった、継続的に管理すべき経営課題である。
この先の分岐——2026年10月以降の支援継続と、GX-ETS対象拡大が中小企業に及ぶ日
今後の分岐点は大きく二つある。一つは、2026年10月使用分以降の電気・ガス料金支援が継続されるかどうかだ。2025年9月にいったん終了し2026年1月に再開された前例がある以上、今回も冬季(1〜3月)に向けて再拡充される可能性はあるが、2026年7月28日時点で確定情報はない。もう一つは、GX-ETSが今後どこまで対象を広げるかである。制度対象は現状「二酸化炭素直接排出量10万トン以上」という基準で300〜400社に限定されているが、GX実行推進室は今後の検討論点としてサプライチェーン全体での排出削減の必要性を挙げており、義務化対象外の中小企業にも、排出量データの把握・提供や大企業との連携強化が今後求められる可能性がある。中小企業にとっての実務的な次の一手は、電気料金の上昇を「仕方のないコスト」として飲み込むのではなく、実績データを積み上げて価格交渉の材料にすること、そして省エネ・非化石転換補助金やカーボンニュートラル投資促進税制といった既存の支援を、規模が小さくても使い切ることの二つに尽きる。
よくある質問
Q. 中小企業のエネルギーコストの価格転嫁率は、なぜ原材料費より低いのですか?
中小企業庁の2026年3月調査(2026年6月26日公表)では、原材料費55.7%・労務費50.0%に対し、エネルギーコストは48.9%でした。電気料金は燃料費調整額(毎月変動)と再エネ賦課金(毎年変動)が絡み合い、原材料費のように「仕入価格が上がった」という単純な説明がしにくいことが背景にあります。
Q. 電気・ガス料金支援はいつまで続きますか?
2026年7月使用分から9月使用分までが確定しています(低圧3.5〜4.5円/kWh、高圧1.8〜2.3円/kWh値引き)。2026年10月使用分以降の継続は、2026年7月28日時点で政府から発表がなく未定です。特別高圧契約は対象外です。
Q. 再エネ賦課金は今後も上がり続けますか?
2026年度は1kWhあたり4.18円で、制度開始以来初めて4円台に乗りました。賦課金単価は再エネの導入状況や卸電力市場価格を踏まえて毎年度経済産業大臣が設定するため、将来の単価が確定しているわけではありませんが、直近数年は上昇が続いています。
Q. GX-ETS(排出量取引制度)は中小企業にも義務が生じますか?
直接の対象は、二酸化炭素直接排出量が3年度平均で10万トン以上の事業者(300〜400社程度)で、中小企業の大多数は対象外です。ただし電力会社が対象に含まれることによる電気料金への影響や、取引先の大企業から排出量データの提供を求められる可能性は今後の論点として残っています。
Q. 中小企業が使える省エネ・GX関連の補助金にはどんなものがありますか?
環境省の「SHIFT事業」(工場・事業場の省CO2化支援)、経済産業省・SIIの「省エネ・非化石転換補助金」(中小企業者等も補助対象)、税制では「カーボンニュートラルに向けた投資促進税制」(2028年3月末まで延長・令和8年度改正で中小企業者等の税額控除率は最大10%に見直し)などがあります。
主な出典
経済産業省「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査の結果を公表します」(2026年6月26日)/経済産業省・中小企業庁 価格交渉促進月間フォローアップ調査 公式ページ/株式会社帝国データバンク「電気料金値上げに関する企業の実態アンケート」(2023年4月)/株式会社帝国データバンク「エネルギー価格上昇による企業への影響調査」(2026年7月)/大同生命保険「価格転嫁に向けた交渉の状況」(2026年3月度サーベイ)/経済産業省「再生可能エネルギーのFIT制度・FIP制度における2026年度以降の買取価格等と2026年度の賦課金単価を設定します」(2026年3月19日)/経済産業省 資源エネルギー庁「電気・ガス料金支援」公式サイト(denkigas-gekihenkanwa.go.jp)/四国電力・中部電力ミライズ・関西電力 各社「電気料金の燃料費調整について」プレスリリース(2026年6〜7月)/経済産業省「排出量取引制度」公式ページ(2026年7月16日最終更新)/TMI総合法律事務所「排出量取引制度(GX-ETS)概要・対象事業者」解説(2026年)/財務省「令和8年度debt管理報告書 第1章 国債、借入金」/財務省・内閣官房「クライメート・トランジション・ボンド インパクトレポート」/内閣官房「GX経済移行債の発行に関する関係府省連絡会議(第8回)資料」/環境省「令和8年度 脱炭素技術等による工場・事業場の省CO2化加速事業(SHIFT事業)の公募開始について」/一般社団法人環境共創イニシアチブ(SII)「省エネ・非化石転換補助金」公募情報/財務省「令和8年度税制改正の大綱」/総務省「租税特別措置等に係る政策の事前評価書」(カーボンニュートラルに向けた投資促進税制)/PROVE DataLake `datalake/_policy/ja/growth_strategy/sector_deep/9_energy_gx.yaml`・`datalake/_policy/ja/growth_strategy/growth_17_sectors.yaml`(id: 9_resources_gx)・`datalake/prove/industry-vertical/energy/power-utility/cell.yaml`。金額は各機関公表の億円・兆円単位を基本とし、一部円/kWh等の原単位は本文中で明示しています。
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※2026年8月時点の情報をもとに作成しています。監修:森英朗。
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