2026年3月期、信越化学工業の営業利益率は24.7%だったのに対し、三菱ケミカルグループは0.8%にとどまった。同じ「化学メーカー」という業種の中で、営業利益率が30倍近く分かれている。両社とも売上高2兆円台後半〜3兆円台の大手で、どちらも実在する日本の主要化学メーカーだ。この差は景気の巡り合わせではなく、どの製品で稼いでいるかという構造の差から生まれている。信越化学・旭化成・住友化学・三井化学・三菱ケミカルグループの直近決算を並べ、どこに境界線があるのかを読む。
当コラムで注目する用語
- 基礎化学:ナフサなどから汎用化学品を大量生産する領域。市況と設備稼働で利益が振れやすい。
- 機能化学:電子材料や高機能素材など、用途特化で付加価値を取る領域。
- ナフサ:石油精製の留分で、石化製品の原料。価格変動が基礎化学の採算を左右する。
- エチレン:基礎化学品の中核原料。誘導品の起点になるため、設備統合の対象になりやすい。
- PFAS:有機フッ素化合物の総称。規制強化が進み、用途と代替が争点になっている。
- CBAM:EUの炭素国境調整措置。域外からの輸入に炭素コストを反映する制度。
数字で先に見る——同じ「化学メーカー」でも営業利益率は0.8%から24.7%まで散らばる
2026年3月期(2025年4月〜2026年3月)の決算を並べると、5社の営業利益率は次のようになる。信越化学工業24.7%(営業利益6,352億円/売上高2兆5,739億円)、旭化成7.5%(営業利益2,312億円/売上高3兆745億円)、住友化学6.5%(営業利益1,517億円/売上収益2兆3,285億円)、三井化学4.4%(営業利益738億円/売上収益1兆6,688億円)、三菱ケミカルグループ0.8%(報告営業利益301億円/売上収益3兆7,040億円)。三菱ケミカルグループだけは「コア営業利益」(事業撤退や減損など非経常要因を除いた指標)で見ると2,250億円・利益率6.1%まで戻るが、それでも信越化学とは4倍の差がある。5社とも同じ「化学メーカー」に分類されるが、この並びだけで業種内部に明確な境界線があることが分かる。
対比①:信越化学——営業利益率24.7%、なぜ他社と一桁違うのか
信越化学は前期の29.0%から4ポイント低下したとはいえ、24.7%という水準は他の4社を大きく上回る。理由は事業の組み合わせにある。半導体シリコンウエハーで業界推計世界シェア約3割(SUMCOに次ぐ首位級・⚠️業界推計)を握り、米国子会社シンテックが塩化ビニル樹脂(PVC)で生産能力364万トン/年の米国No.1という、まったく異質な2つの市場で寡占的な地位を同時に持つ。2026年3月期はAI関連需要の拡大が半導体材料事業を押し上げた一方、塩化ビニル樹脂の市況低迷が収益を押し下げ、増収でも減益という結果になった。それでも他社が営業損失に近い水準まで沈む基礎化学品の需給悪化を、半導体材料という別の柱が吸収できる。1957年に塩ビ生産を、1960年前後に半導体シリコンの製造を始めて以来60年以上かけて積み上げた「二重の寡占」が、他社と一桁違う利益率の土台になっている。
対比②:三菱ケミカルグループ——コア利益の89%を「産業ガス」が稼ぎ、化学本体は実質赤字
三菱ケミカルグループの2026年3月期は、売上収益3兆7,040億円(前期比6.2%減)、コア営業利益2,250億円(同1.7%減・ほぼ横ばい)に対し、報告ベースの営業利益は301億円(同78.8%減)、純利益は118億円(同73.7%減)まで沈んだ。決算短信のセグメント情報を見ると、コア営業利益の内訳は産業ガスセグメントが2,007億円、スペシャリティマテリアルズが323億円、その他135億円に対し、MMA&デリバティブズはマイナス15億円、ベーシックマテリアルズ&ポリマーズはマイナス42億円と、いずれも損失で計上されている。産業ガス1事業だけで全社コア営業利益(調整後2,250億円)の約89%を稼ぎ出している計算になり、化学品そのものを作る中核2部門はコア利益段階でも赤字という構造だ。報告営業利益がさらに沈んだのは、英国のソアノール関連固定資産の減損損失とコークス事業撤退に伴うリストラクチャリング費用が非経常要因として重なったため。田辺三菱製薬(現・田辺ファーマ)を非継続事業に分類して連結から外した影響も売上収益減少に含まれる。
対比③:住友化学——コア営業利益は48%増えたのに、報告営業利益は21%減った理由
住友化学の2026年3月期はIFRSベースで売上収益2兆3,285億円(前期比10.7%減)、コア営業利益2,084億円(同48.3%増)、報告営業利益1,517億円(同21.4%減)、親会社所有者帰属の当期利益609億円(同57.9%増)という、指標によって方向がねじれる決算になった。営業利益率は6.52%。コア営業利益が大きく伸びたのは構造改革の効果が出てきたためだが、報告営業利益はその改善を非経常的な事業構造改善費用や減損等が打ち消して減少側に出た。一方で純利益は前期の一時的な損失計上の反動もあって大幅増益になっている。3つの利益指標が「増える・減る・増える」とそれぞれ違う方向を向く決算は、コモディティ化学が主力の企業が構造改革の途中にあるときに典型的に現れる姿だ。
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対比④:三井化学——ナフサ安と中国持分法会社の減損に沈んだ「基礎化学」の値段
三井化学の2026年3月期は売上収益1兆6,688億円(前期比7.8%減)、コア営業利益1,000億円(同0.9%減)、報告営業利益738億円(同5.8%減)、営業利益率4.4%だった。会社の説明によれば、売上収益減少はナフサ等原料価格の下落に伴う販売価格の下落と、ベーシック&グリーン・マテリアルズセグメント(エチレン・プロピレン・PE・PP等の基礎化学品)における販売量の減少が主因。営業利益がコア営業利益の減少幅(10億円)以上に減った差分は、中国でフェノール事業を展開する持分法適用会社の投資に対して計上した減損損失等によるものだ。眼鏡レンズ素材(MRレンズ)で世界シェア上位を持つ機能性ポリマー事業を抱えながらも、連結売上収益の4割弱を占める基礎化学品セグメントの市況変動が全社業績を大きく動かしている構図は、三菱ケミカルグループ・住友化学と同じ根を持つ。
対比⑤:旭化成——マテリアル(基礎化学)が減益でも、ヘルスケア・住宅で2期連続最高益
旭化成は5社の中で唯一、増収増益で2期連続の最高益を更新した。2026年3月期は売上高3兆745億円(前期比1.2%増)、営業利益2,312億円(同9.1%増)、純利益1,588億円(同17.6%増)、営業利益率7.5%。セグメント別では、基礎化学品を含むマテリアルセグメントが売上高1兆3,062億円(減収)・営業利益683億円(減益)と沈んだのに対し、ヘルスケアセグメントは売上高6,641億円・営業利益835億円、住宅セグメントは売上高1兆774億円・営業利益998億円と、いずれも増収増益で全社を支えた。基礎化学が苦しいのは他の4社と同じだが、旭化成はヘーベルハウスの住宅事業と医薬・医療機器のヘルスケア事業という、化学以外の事業を連結の主力に育てていることで、基礎化学の落ち込みを打ち消せる構造になっている。「化学メーカーの看板を掲げながら、化学以外で稼ぐ」という第三の型だ。
なぜ差が生まれるのか——「基礎化学」対「機能化学」という構造線
5社の対比から見えるのは、業種名としての「化学メーカー」の内側に、少なくとも2つの異なるビジネスモデルが存在するという事実だ。一つは、エチレン・プロピレン・PVC・MMAモノマーのような基礎化学品(コモディティ)。ナフサという原料価格の変動をそのまま受け、需給が世界規模の設備投資競争で決まり、価格決定力を持ちにくい。三菱ケミカルグループのMMA&デリバティブズ・ベーシックマテリアルズ&ポリマーズ両セグメントがコア営業利益段階で損失になっているのは、まさにこの型の限界を示している。もう一つは、半導体シリコンウエハー・産業ガス・機能性ポリマー・医薬・住宅のような機能化学・関連事業(スペシャリティ)。技術的な参入障壁や長期契約による安定需要があり、価格決定力を保ちやすい。信越化学の半導体材料、三菱ケミカルグループの産業ガス、旭化成のヘルスケア・住宅は、いずれもこちらの型に属する。どちらの型を連結利益の主軸に据えているかが、営業利益率の差としてそのまま表れている。
共通の逆風——中国の増産と、日本国内で動き出した3社連携による水島エチレン設備の統合
基礎化学が苦しんでいる背景には、中国の生産能力拡大という共通の逆風がある。中国のエチレン生産設備は増強が続き、2025年の生産量は新型コロナ禍前の2019年比でおよそ2倍に達した。内需の低迷でこの増産分が過剰生産となり、余った製品が近隣市場に安価で輸出されるため、日本を含む周辺国の市況を悪化させている。日本国内のエチレンプラントの設備稼働率は、採算の目安とされる90%を「不況」ラインとして40カ月超連続で下回り、2026年1月は75.8%にとどまった。これを受けて、三菱ケミカルグループ・旭化成・三井化学の3社は2026年1月、岡山県倉敷市の水島コンビナートで三菱ケミカルグループと旭化成が共同運営するエチレン設備を停止し、三井化学の大阪拠点に生産を集約する方針を発表した。2030年度を目途に、統合後の共同事業体(出資比率は三井化学45%・三菱ケミカルグループ45%・旭化成10%)で運営し、エチレン生産能力は統合前の95.1万トン/年から45.5万トン/年に絞る計画だ。競合関係にある3社が拠点をまたいで生産設備を統合する再編は民間主導では初の事例で、基礎化学の構造問題がどの企業にも共通する規模になっていることを示している。
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もう一つのコスト——EU REACH・米TSCAのPFAS報告義務・EU CBAMが機能化学にも重なる
ただし、機能化学(スペシャリティ)側が安泰というわけではない。EUのREACH規則は2025年8月11日採択の改正(Regulation (EU) 2025/1731)で16種類のCMR物質(発がん性・変異原性・生殖毒性物質)を制限リスト(Annex XVII)に追加し、2025年9月1日から直接適用が始まった。米国では環境保護庁(EPA)のTSCA第8(a)(7)条PFAS報告規則が、2023年10月の確定後も開始時期を何度も延期し、2026年4月13日発効の最終規則で提出期間の開始日を「2027年1月31日、または規則改定の発効60日後の早い方」に再設定した。対象は2011年以降の製造・輸入データという遡及的な報告で、フッ素樹脂・フッ素ゴム等を扱う機能化学メーカーには重い負担になる。EUのCBAM(炭素国境調整措置)は現時点で鉄鋼・アルミ・セメント・肥料・電力・水素が対象で化学品そのものは含まれていないが、欧州委員会は化学・ポリマー分野への対象拡張を検討中で、2027年に拡張範囲の評価報告書を公表する予定だ。基礎化学が市況変動リスクを抱える一方、機能化学は規制対応コストという別の負担を抱えており、どちらの型にも固有のリスクがある。
よくある読み違い——「化学メーカー」は一つの業種ではなく、複数のビジネスモデルの集合
「化学メーカー」という言葉から、同質な企業群を想像するのは早計だ。信越化学は売上の相当部分を半導体材料という電子産業向け事業から得ており、三菱ケミカルグループはコア利益の9割近くを産業ガスという別業態から得ている。旭化成はヘーベルハウスの住宅事業と医薬のヘルスケア事業を連結の主力に据えている。いずれも法人としては「化学メーカー」に分類されるが、実際の稼ぎ方は半導体産業・エネルギー関連産業・住宅産業・医薬産業のそれぞれに近い。逆に、三井化学のように基礎化学品セグメントの比重がまだ大きい企業は、ナフサ価格や中国の需給といった市況要因の影響を強く受ける。「化学メーカーだから原料高で苦しい」「化学メーカーだから安定している」という単一のイメージで5社をまとめて語ると、実態を見誤る。
この先の分岐——ポートフォリオ転換の速さが、次の5年の利益率を決める
5社とも方向性としては、基礎化学の比重を下げ、機能化学・関連事業の比重を上げるポートフォリオ転換を掲げている。三菱ケミカルグループは産業ガス事業をコア営業利益の柱として明確に位置づけ、スペシャリティマテリアルズでは半導体製造装置用途の高機能エンジニアリングプラスチック等の需要増加を取り込みつつある。住友化学はコア営業利益の改善という形で構造改革の成果が出始めている。三井化学・旭化成・三菱ケミカルグループの3社が共同で決めた水島エチレンプラント停止は、基礎化学からの縮小を象徴する動きだ。一方で信越化学は、既に機能化学(半導体材料)を主軸に据えた企業として、AI関連需要の拡大という追い風をそのまま利益に変換できる位置にいる。次の5年で各社の営業利益率がどこまで収束するか、あるいは差が固定化するかは、このポートフォリオ転換をどれだけ速く進められるかにかかっている。
よくある質問
Q. なぜ同じ「化学メーカー」なのに営業利益率がこれほど違うのか?
連結売上の中で、基礎化学品(コモディティ)と機能化学・関連事業(スペシャリティ)のどちらの比重が大きいかが決定的な差になる。信越化学のように半導体材料という高付加価値事業を主軸に持つ企業は利益率が高く、基礎化学品の比重が大きい企業は市況変動の影響を強く受けて利益率が低くなりやすい。
Q. 三菱ケミカルグループは「化学メーカー」なのに産業ガスに依存しているのか?
2026年3月期の実績で見ると、コア営業利益2,250億円のうち約89%(2,007億円)を産業ガスセグメントが占め、化学品を製造する中核2セグメント(MMA&デリバティブズ、ベーシックマテリアルズ&ポリマーズ)はいずれもコア営業利益段階で損失になっている。産業ガス事業への依存度は高い。
Q. 中国のエチレン増産は、日本の化学メーカーにどう影響するのか?
中国はコロナ禍前の2019年比でエチレン生産量をおよそ2倍に増やしたが、内需の低迷でその増産分が過剰生産となり、余った製品が近隣市場に安価で輸出されている。この影響で日本国内のエチレンプラント稼働率は採算ラインの90%を長期間下回っており、2026年1月には三菱ケミカルグループ・旭化成・三井化学の3社が水島コンビナートの設備停止と大阪拠点への生産集約(2030年度目途)を発表するなど、業界再編が進んでいる。
Q. 機能化学(スペシャリティ)に強い会社を選べば規制リスクは避けられるのか?
避けられない。むしろ機能化学はEUのREACH規則の新規制対象物質や、米国のTSCA PFAS報告規則のような規制強化の直接対象になりやすい。基礎化学が市況リスクを抱えるのに対し、機能化学は規制対応コストという別のリスクを抱えており、リスクの種類が異なるだけだ。
主な出典
本稿はAtlas DataLakeの一次情報ファクト(industry-vertical/chemistry/basic-chem・specialty-chemセル、_policy/ja/growth_strategy/sector_deep/13_materials.yaml等)を骨格に、信越化学工業・住友化学・三菱ケミカルグループ・三井化学・旭化成の決算短信・決算説明資料等の一次公開情報、旭化成IR資料・日本経済新聞・日経ビジネスの水島エチレン設備再編報道、EU官報(REACH規則改正)・米国官報Federal Register(EPA TSCA PFAS報告規則)・欧州委員会CBAM関連文書の公式規制情報を参照して作成した。半導体シリコンウエハーの世界シェア等の市場推計値は、企業自身の公表値ではないことを本文中に明示している。
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