2026年度の最低賃金は、全国加重平均で時給1,176円になる見通しです。前年度からの上昇額は55円、率にして4.9%——引き上げ額・率ともに6年ぶりに前年度を下回りました。「賃上げが一段落した」ように見える一方で、日本商工会議所の調査では中小企業の6割が「業績改善が見られないのに賃上げを実施・予定」する「防衛的な賃上げ」を続けており、価格交渉促進月間の調査でも価格転嫁率は54.2%で頭打ち、人手不足による倒産は過去最多を更新しています。本稿では、2026年度の最低賃金改定を起点に、中小企業の人件費と価格転嫁の現場で実際に動いている数字を一つずつ分解します。

2026年度・最低賃金改定の中心数値
1,176円 全国加重平均の目安(現行1,121円から+55円・4.9%)|54.2% 中小企業の価格転嫁率(2026年3月時点)|60.9% 「防衛的な賃上げ」を実施・予定する中小企業の割合

「1,176円」——2026年度目安が示す、6年ぶりの伸び鈍化

厚生労働省の中央最低賃金審議会は2026年7月28日、第75回審議会で令和8年度の地域別最低賃金額改定の目安を答申しました。目安どおりに各都道府県で改定が行われた場合、全国加重平均は現行(令和7年度・1,121円)から55円上がって1,176円になります。上昇率は4.9%です。この55円・4.9%という数字は、絶対額では過去2番目に大きい引き上げ幅でありながら、前年度(令和7年度)の66円・6.3%という過去最大の引き上げからは明確に減速しており、上昇額・上昇率ともに前年度を下回るのは6年ぶりのことです。今後は各都道府県の地方最低賃金審議会がこの目安を参考に賃金実態調査や参考人意見を踏まえて審議し、都道府県労働局長が正式な金額を決定、2026年10月頃から順次発効する見込みです。

55円と4.9%——引き上げ額と率を分解する

最低賃金は労働基準監督署が所管する最低賃金法(1959年制定・昭和34年法律第137号)に基づき、公益・労働者・使用者の三者で構成される審議会方式で決まります。中央最低賃金審議会は、都道府県ごとの経済実態(1人当たり県民所得、消費支出、新規高卒者の初任給、企業の生産性(付加価値額)など約20指標)に基づいて全都道府県を数年おきにランク分けし、そのランクごとに毎年、引き上げ額の「目安」を示す仕組み(目安制度)は1978年度に始まりました。2026年度は6月26日に厚生労働大臣から諮問を受け、6回にわたる小委員会審議を経て答申が取りまとめられています。物価上昇が続く一方で中小企業の経営環境への配慮も求められる中、55円という金額は「賃上げを止めない」と「中小企業の負担を急激に増やさない」という二つの要請の折り合いを示す数字だといえます。

Aランク54円、B・Cランク56円——大都市より地方が上がる逆転

都道府県ごとの引き上げ目安は、経済実態に応じてA・B・Cの3ランクに分けて示されます。2026年度はAランク(埼玉・千葉・東京・神奈川・愛知・大阪の6都府県)が54円、Bランク(北海道・福岡など28道府県)とCランク(青森・沖縄など13県)がいずれも56円という結果になりました。地方圏のB・Cランクが大都市圏のAランクを上回るのは、全ランクが同額になる年はあっても異例の構図です。このランク区分自体も、1978年度の目安制度開始以来初めての見直しとして、2023年度(令和5年度)にA〜Dの4区分からA〜Cの3区分へ削減されました。地域間の賃金格差拡大を是正するのが目的で、当時Cランクだった14道県はすべて新Bランクへ移行し、当時Dランクだった16県のうち大半の13県は新設のCランクへ、残る福島・島根・愛媛の3県はBランクへ移行しました。今回のランク別配分も、この「格差縮小」路線の延長線上にあります。

1,226円と1,023円——都道府県間に残る203円の壁

令和7年度(2025年度)の地域別最低賃金は、初めて全都道府県で時給1,000円を超えました。最高は東京都の1,226円、最低は高知県・宮崎県・沖縄県の1,023円で、その差は203円です。2026年度の目安どおりに改定されれば、東京は1,280円程度、最も低い3県は1,079円程度になると試算されており、格差は201円へとわずかに縮まる計算です。国は最低賃金の全国平均1,500円という目標を掲げていますが、2026年6月30日の日本成長戦略会議で、石破前政権が掲げた「2020年代の達成」という期限を見直し、「遅くとも2030年代前半のできる限り早期に」達成するという方針へ後退させました。この方針は2026年7月21日に閣議決定された「日本成長戦略」にも明記されています。日本商工会議所の小林健会頭はこの見直しを「今の春闘相場を考えて、可能なレンジだ」と評価しています。

地域間格差と目標の後退(厚生労働省・日本成長戦略)
203円 2025年度の最高(東京1,226円)と最低(高知・宮崎・沖縄1,023円)の差|2030年代前半 「全国平均1,500円」目標の新しい達成期限(旧目標は2020年代)

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71.3%と59.9%——賃上げ実施率、規模で開く11.4ポイントの差

日本商工会議所・東京商工会議所が2026年6月8日に公表した「中小企業の賃上げ・賃金改定に関する調査」(全国345商工会議所・回答企業2,260社、調査期間2026年4月7日〜5月18日)によれば、2026年度に「賃上げを実施済」(39.2%)または「実施予定」(32.2%)と回答した企業は合計71.3%(前年度比+1.7ポイント)に達しました。ところが従業員20人以下の小規模企業に限ると、この割合は59.9%(同+2.2ポイント)にとどまり、全体との差は11.4ポイントに広がります。実際に賃上げを実施した企業の正社員の賃上げ額・率(2026年3月と4月の賃金を比較・加重平均)は、全体で11,366円・4.01%、小規模企業では9,170円・3.38%で、額で2,196円、率で0.63ポイントの差がありました。規模が小さいほど「賃上げをする企業の割合」も「一人当たりの賃上げ額」も小さくなる構図が、同じ調査の中で二重に確認されています。

60.9%と66.3%——「防衛的な賃上げ」が示す中小企業の本音

同調査が示すもう一つの重要な数字が「防衛的な賃上げ」の割合です。これは「業績の改善が見られないにもかかわらず賃上げを実施・予定する」企業の比率で、賃上げ実施・予定企業を100とした場合、全体で60.9%(前年度比+0.8ポイント)、20人以下の小規模企業では66.3%(同+3.5ポイント)に達しました。つまり賃上げを行っている中小企業の6〜7割は、利益が伸びたからではなく、人材を確保するため、あるいは物価上昇に対応するために、身を削って賃上げをしているということです。防衛的な賃上げを行う理由としては「物価上昇への対応」(68.2%)と「人材の確保・採用」(66.7%)が約7割で並び、「最低賃金引き上げを踏まえた対応」も41.5%を占めます。一方で賃上げを見送った企業の理由は「売上の低迷」(55.0%)が最多で、「資金面での余力に乏しいため」(44.2%)、「原材料費等のコスト負担増」(40.3%)と続き、5位には「人件費の価格転嫁が難しいため」(34.1%)が入っています。

54.2%と50.0%——価格転嫁率と、労務費だけ遅れる理由

中小企業庁が2026年6月26日に公表した「価格交渉促進月間(2026年3月)」フォローアップ調査(受注側中小企業30万社に配布・回答69,625社)によれば、中小企業のコスト上昇分に対する価格転嫁率は54.2%で、前回(2025年9月)の53.5%から約1ポイントの微増にとどまりました。コスト要素別に見ると、原材料費は55.7%まで転嫁できているのに対し、労務費は50.0%、エネルギーコストは48.9%と、いずれもコスト全体の半分程度しか価格に反映できていません。労務費の転嫁率が初めて50%に達したのは2025年9月調査でしたが、その後半年経った2026年3月調査でも同じ水準にとどまっています。官公需(国・自治体が発注者となる契約)の転嫁率はさらに低い48.4%で、前回から約4ポイント低下しました。「価格交渉自体は行われている」割合が90.7%まで高まっている一方で、交渉した分がそのまま価格に乗るとは限らないという構造が、この数字の並びに表れています。

価格転嫁率の内訳(中小企業庁「価格交渉促進月間」調査・2026年3月時点)
54.2% コスト上昇分の価格転嫁率(全体)|55.7% 原材料費の転嫁率|50.0% 労務費の転嫁率|48.4% 官公需の転嫁率(前回比−4pt)

600万円——業務改善助成金、3コース制に変わった中身

労務費の価格転嫁が5割にとどまる中、賃上げの原資を直接補うのが「業務改善助成金」です。中小企業・小規模事業者が事業場内で最も低い賃金(事業場内最低賃金)を一定額以上引き上げ、同時に生産性向上に資する設備投資を行った場合、その費用の一部を助成する制度で、2026年度から制度設計が大きく変わりました。従来の4コース(30円・45円・60円・90円)は3コース(50円・70円・90円)に再編され、助成率の基準となる事業場内最低賃金の境界も「1,000円未満は4/5」から「1,050円未満は4/5、1,050円以上は3/4」へ引き上げられました。助成上限額は最大600万円(90円コース・引き上げ対象10人以上の場合)で、対象事業場の要件も、令和7年度中(2025年9月)に「地域別最低賃金との差額50円以内」という制限が撤廃されて以降、2026年度も地域別最低賃金未満の事業場であれば幅広く申請できる仕組みが続いています。申請受付は2026年9月1日から、各都道府県の地域別最低賃金の発効日前日または11月末日のいずれか早い日までです。

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237件と120件——人手不足倒産・人件費高騰倒産、過去最多の数字

賃上げ原資を確保できない企業には、退場という結末が待っています。東京商工リサーチによれば、2026年上半期(1〜6月)の「人手不足」関連倒産(求人難・従業員退職・人件費高騰が要因)は237件(前年同期比37.7%増)で、調査を開始した2013年以降、上半期として初めて200件台に乗り、3年連続で過去最多を更新しました。このうち「人件費高騰」を要因とする倒産は120件(前年同期比2.4倍)に急増しています。資本金1,000万円未満の小・零細企業が154件(同41.2%増)を占め、形態別では「破産」が229件(同41.3%増)で全体の96.6%にのぼります。帝国データバンクの集計でも2026年上半期の全国企業倒産は5,335件(前年同期比6.6%増)と2年連続で5,000件を超えました。東京商工リサーチの集計(同時期の全国企業倒産5,346件、前年同期比7.1%増)では、中小企業倒産(中小企業基本法に基づく)の構成比が半期として8年ぶりに100.0%に達しています。大手主導の賃上げの広がりが、価格交渉力の弱い小・零細企業には「賃上げできない」ではなく「賃上げしたら潰れる」という形で跳ね返っています。

2026年上半期・倒産集計(帝国データバンク・東京商工リサーチ)
237件 人手不足関連倒産(前年同期比+37.7%・過去最多)|120件 うち人件費高騰が要因(前年同期比2.4倍)|5,335件 全国企業倒産数(帝国データバンク集計)|100.0% 中小企業倒産の構成比(東京商工リサーチ集計・8年ぶり)

混同しやすい境界——最低賃金は「もらえるお金」ではなく「事業者の義務と原資探し」

最低賃金の話題は「時給が上がってラッキー」という労働者側の視点で語られがちですが、経営やマーケティングの実務では逆側の視点が欠かせません。最低賃金法第4条は使用者に最低賃金額以上の賃金を支払う義務を課し、違反すれば50万円以下の罰金(同法第40条)が科される可能性があります。労働基準監督署は定期的な立入調査(臨検)で違反を確認すれば是正勧告書を交付し、悪質な場合は書類送検にもつながります。つまり中小企業経営者にとって最低賃金の引き上げは「対応するかどうかを選べる話」ではなく、原資をどう作るかという実務課題そのものです。ここまで見た数字が示すように、原資の作り方は「価格転嫁」(半分程度しか通っていない)と「補助金・助成金の活用」(業務改善助成金など)、そして「生産性向上」の三方向しかありません。この前提を理解せずに「賃上げ機運」という言葉だけで中小企業に提案をすると、現場の実感とずれた話になります。

これから数年の分岐点——取適法・パートナーシップ構築宣言10万社・1500円延期の先

価格転嫁を巡る制度環境は2026年に大きく動いています。2026年1月1日、旧「下請代金支払遅延等防止法」(下請法)は「中小受託取引適正化法」(通称・取適法)へ改正・施行され、資本金基準に加えて従業員数基準(製造委託等300人超・役務提供委託等100人超)が追加されるなど、適用対象が拡大しました。約束手形による支払いは原則禁止となり、価格協議に応じない一方的な代金決定も禁止行為として明確化されています。また発注側企業が取引の適正化を約束する「パートナーシップ構築宣言」の登録企業数は、2026年7月6日時点で10万社に到達しました。国は2029年度までに実質賃金で年1%程度の上昇を定着させ、中小企業の労働生産性を2030年度までの5年間で15%高める目標も掲げています。「1,500円」という全国目標の達成時期は後ろにずれましたが、価格転嫁と生産性向上を同時に進めるための制度的な足場は、この1年でむしろ厚みを増しています。この足場を自社の値付け・取引条件の見直しにどこまで使い切れるかが、これから数年の分岐点になります。

よくある質問

Q. 2026年度の最低賃金はいつから適用されますか?

2026年7月28日に中央最低賃金審議会が全国加重平均1,176円(55円増・4.9%増)という目安を答申しました。この目安を参考に各都道府県の地方最低賃金審議会が審議・答申を行い、都道府県労働局長が正式決定します。例年どおりであれば2026年10月頃から都道府県ごとに順次発効する見込みです。

Q. なぜ大都市圏(Aランク)より地方(B・Cランク)の引き上げ額が大きいのですか?

2026年度の目安ではAランク(東京・大阪など6都府県)が54円、B・Cランク(地方の41道府県)が56円で、地方の引き上げ額が上回りました。地域間の賃金格差を縮小する狙いによるもので、ランク区分自体も2023年度に4区分から3区分へ削減され、格差是正の方向で運用されています。

Q. 中小企業は最低賃金の引き上げにどう対応すればよいですか?

日本商工会議所の調査では、賃上げを行う中小企業の6割以上が「業績改善が見られない防衛的な賃上げ」です。価格交渉による原資確保(2026年3月時点の労務費転嫁率は50.0%)に加え、事業場内最低賃金を引き上げつつ設備投資を行う企業向けの「業務改善助成金」(最大600万円)などの公的支援の活用が実務的な選択肢になります。

Q. 最低賃金より低い賃金を払うとどうなりますか?

最低賃金法第4条に違反し、同法第40条により50万円以下の罰金に処される可能性があります。労働基準監督署の立入調査(臨検)で違反が確認されると是正勧告書が交付され、未払い賃金の支払いなどの是正措置と報告が求められます。

Q. 「全国平均1,500円」の目標はいつ実現しますか?

石破前政権は「2020年代」の達成を掲げていましたが、2026年6月30日の日本成長戦略会議で「遅くとも2030年代前半のできる限り早期に」達成するという方針に見直され、2026年7月21日閣議決定の「日本成長戦略」に明記されました。

主な出典

厚生労働省「令和8年度地域別最低賃金額改定の目安について」(2026年7月28日・第75回中央最低賃金審議会答申)/厚生労働省「令和8年 日本成長戦略及び経済財政運営と改革の基本方針2026 関係部分抜粋」(2026年7月21日閣議決定・2026年7月23日厚生労働大臣諮問資料)/厚生労働省「業務改善助成金のご案内」(令和8年度版)/厚生労働省「最低賃金に関する報告書」/最低賃金法(昭和34年法律第137号)・大阪労働局「最低賃金法の違反の罰則について」/日本商工会議所・東京商工会議所「中小企業の賃上げ・賃金改定に関する調査」集計結果(2026年6月8日公表)/中小企業庁・経済産業省「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査の結果を公表します」(2026年6月26日)/経済産業省「『パートナーシップ構築宣言』の宣言企業数が10万社に到達しました」(2026年7月7日)/公正取引委員会「取適法」(中小受託取引適正化法・2026年1月1日施行)関連資料/政府広報オンライン「2026年1月から下請法が『取適法』に」/株式会社帝国データバンク「倒産集計 2026年上半期報」(2026年7月8日)/株式会社東京商工リサーチ「2026年上半期『人手不足』関連倒産動向」/労働政策研究・研修機構(JILPT)「ビジネス・レーバー・トレンド2026年7月号」/日本経済新聞・Bloomberg・毎日新聞・NHKニュース各報道(2026年6月〜7月)。金額は各機関公表の円・万円単位をそのまま使用しています。

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※2026年8月時点の情報をもとに作成しています。監修:森英朗。

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