2026年3月期、武田薬品工業の売上収益は4兆5,057億円。そして訂正後の営業利益は62億円です。売上の規模でいえば2位以下を大きく引き離す独走なのに、利益はほぼ消えている。この2つの数字が同じ決算に並ぶ理由が分かると、製薬という業界の稼ぎ方とリスクの置き場所が見えてきます。ランキングを眺めるだけでは分からない構造を、数字を1つずつ分解しながら整理します。
4兆5,057億円と62億円——同じ決算に並んだ2つの数字
武田薬品工業は2026年5月13日に2026年3月期(2025年度)の決算を発表し、売上収益4兆5,057億円(前期比▲1.7%)、営業利益4,088億円と公表しました。ところが同年6月5日、同社はこの決算を訂正します。訂正後の数字は、売上収益は変わらず4兆5,057億円、営業利益は62億円、税引前は1,424億円の損失、親会社の所有者に帰属する当期損失は1,524億円(1株当たり▲96円75銭)でした。売上が変わらないまま営業利益が4,000億円以上消えたということは、原因は本業の売れ行きではなく一度に計上した費用だと分かります。
訂正の中身——AMITIZAをめぐる米国の反トラスト訴訟
訂正の理由は、2026年5月18日(米国東部時間)に米国マサチューセッツ州の連邦地方裁判所で下された陪審評決です。便秘症治療薬AMITIZA(ルビプロストン)に関する反トラスト(独占禁止法)訴訟で、陪審は武田側に不利な評決を下し、原告に対する損害賠償として8億8,494万3,990ドルを認定しました。うち卸売業者クラスの4億7,489万7,965ドルと個別の小売薬局分の合計3億4,683万7,646ドルは、米国の反トラスト法上、判決の言い渡しによって自動的に3倍になります。この評決は2026年3月31日時点に存在していた事象に関連する後発事象と判断されたため、同社は2025年度の連結財務諸表に訴訟引当金4,025億円を追加計上しました(2026年3月末の引当金残高は4,035億円、関連する税務便益584億円を計上)。期末配当は1株100円から変更なしとされています。
武田薬品・2026年3月期の要点(2026年6月5日訂正後)
4兆5,057億円 売上収益(前期比▲1.7%)|62億円 営業利益(訂正前4,088億円)|4,025億円 追加計上した訴訟引当金|1兆1,725億円 Core営業利益(訂正の影響なし)
Core営業利益1兆1,725億円は動いていない
ここで押さえておきたいのが、製薬業界の決算に必ず出てくる「Core」という指標です。武田のCore営業利益は1兆1,725億円で、この訂正による影響を受けていません。会社側も「本修正は2025年度のCore業績に影響を与えるものではない」と明記しています。
なぜ2つの利益が並ぶのか
IFRS(国際会計基準)に基づく営業利益には、買収に伴う無形資産の償却や訴訟引当金のような一時的・非経常的な項目が含まれます。Core営業利益はそれらを除いた、いわば「事業そのものの稼ぎ」を示す非IFRS指標です。どちらが正しいということではなく、見たいものが違います。単年度の資金や株主還元の余力を見るならIFRS側、事業の実力や来期の見通しを見るならCore側、という読み分けになります。ランキング記事の売上だけを見ていると、この2階建て構造は見えません。
国内製薬ランキング【2026年版】
直近通期の連結売上高で並べると、上位は次のとおりです。決算期が3月のところと12月のところが混在するため、単純比較には注意が必要です。
| 順位 | 企業 | 直近通期の売上高 | 稼ぎ方の特徴 |
|---|---|---|---|
| 1 | 武田薬品工業 | 約4兆5,057億円 | 2019年のシャイア買収でグローバル化。海外売上比率が高い |
| 2 | 大塚ホールディングス | 約2兆4,689億円 | 抗精神病薬「レキサルティ」等の主力品が拡大 |
| 3 | アステラス製薬 | 約2兆1,392億円 | 前立腺がん治療薬「イクスタンジ」への依存度が高い |
| 4 | 第一三共 | 約2兆1,230億円 | ADC(抗体薬物複合体)「エンハーツ」の海外導出が成長を牽引 |
| 5 | 中外製薬 | 約1兆2,000億円台 | ロシュとの資本・業務提携を軸にした抗体医薬の創薬力 |
集計条件:東証プライム上場・医薬品を本業とする主要企業を対象に、直近通期(2026年3月期または2025年12月期)の連結売上高を比較。決算期・連結範囲の違いにより、集計元によって数百億円単位の差が生じます。6位以下はエーザイ(約7,894億円)、協和キリン(約4,956億円)、小野薬品工業(約4,869億円)、塩野義製薬(約4,383億円)、住友ファーマ(約3,988億円)と続きます。
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2兆円クラブで起きた150億円差の意味
この表でいちばん動きがあるのは3位と4位です。アステラス製薬と第一三共はいずれも2兆円台に乗り、その差は約150億円まで縮まりました。2兆円規模の企業間で150億円の差は約0.7%であり、実質的には並んだと見るべき水準です。ただし中身は対照的です。アステラスは「イクスタンジ」という単一製品への依存度が高く、特許期間の残りが業績の時間軸を規定します。第一三共は「エンハーツ」を海外の大手と共同開発・販売する形で伸ばしてきました。同じ2兆円でも、次の5年の予測可能性はまったく違います。
稼ぎ方は大きく3つの型に分かれる
売上規模の順位より、事業を見るうえで役に立つのは「どうやって稼いでいるか」の分類です。
型1:M&Aで規模を買う(武田)
2019年1月8日、武田はアイルランドの製薬大手シャイアの買収を完了しました。買収総額は約6兆2,000億円で、日本企業による海外M&Aとして当時最大規模。統合後の売上高は313億ドル規模となり、日本企業として初めて世界トップ10のメガファーマに入りました。規模と地域分散を一度に手に入れる代わりに、財務負担と統合リスク、そして今回のような買収先に由来する訴訟リスクまで引き受けることになります。
型2:単一モダリティを海外へ導出する(第一三共)
ADC(抗体薬物複合体)という技術領域で強みを作り、それを海外大手と組んで世界市場へ出す形です。自社単独で世界に販売網を持つ必要がない代わりに、利益は分け合うことになります。
型3:提携パートナーの世界網に乗る(中外製薬)
ロシュとの資本・業務提携を軸に、創薬に集中して国内外の販売はパートナー側の仕組みを使う形です。同じ「大手製薬」でも、リスクの置き場所が3社とも違います。
武田の減収要因は「特許の崖」だった
売上が前期比▲1.7%となった理由も分解しておきます。減収の主因は、6つの主要ビジネスエリアのうちニューロサイエンス(神経精神疾患)です。米国で注意欠陥/多動性障害(ADHD)治療剤VYVANSEの後発品が浸透した影響が続いたためです。一方で、消化器系疾患・希少疾患・血漿分画製剤・オンコロジー・ワクチンの5領域は増収でした。つまり会社全体が失速したのではなく、1つの製品の特許切れが全体の増減を決めたということです。加えて米国ではメディケア・パートDの再設計や340Bプログラムの拡大といった制度要因も一部製品に影響しています。製薬の売上は、需要よりも「特許」と「制度」で動く——この稿でいちばん重要な性質です。
薬価は「国が決める売値」——2026年度改革で何が変わったか
その制度の中心が薬価です。日本では医療用医薬品の公定価格が国によって決められ、定期的に改定されます。2026年3月5日に告示され、同年4月1日に適用された令和8年度薬価基準改定では、薬価改定率が医療費ベースで▲0.86%、薬剤費ベースで▲4.02%、国費では約1,052億円の削減となりました。
変更1:新薬の薬価を維持する制度が名前を変えた
特許期間中の革新的な新薬の薬価を維持する「新薬創出・適応外薬解消等促進加算」が、より分かりやすい名称として「革新的新薬薬価維持制度」(PMP)に変更されました。今回の改定では383成分653品目(95社)が薬価維持の対象となり、維持に要した額は約273億円です。
変更2:長期収載品の引き下げが5年前倒しに
後発品が出た後の先発品(長期収載品)を段階的に引き下げる「G1ルール」の適用時期が、従来の「後発品収載後10年」から原則5年へ短縮されました。Z2・G2は廃止され、引き下げルールはG1に一本化。対象は356成分812品目で、うちバイオ医薬品が12成分41品目。5年前倒しによって新たに加わったのが59成分145品目です。
この2つはセットで読むべき改定です。新薬には報い、古い薬に依存するビジネスモデルからは早く降りてもらう——という政策の意図がはっきり出ています。長期収載品の売上に依存している企業ほど、収益の時間軸が短くなりました。
ドラッグ・ロス——日本で売られない新薬という問題
業界がもっとも警戒しているのが「ドラッグ・ロス」です。海外では承認・販売されている新薬が、日本では導入されない現象を指します。原因は単一ではありませんが、薬価上の魅力の乏しさ、市場規模、規制対応コストなどが挙げられます。厚生労働省と製薬業界団体の双方が、この解消を近年の薬価制度改革の重要課題と位置づけてきました。革新的新薬の薬価維持を制度として明示したのは、この文脈の中にあります。
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米国のMFN薬価が日本に跳ね返る経路
2025年5月、米国のトランプ大統領は「他国より低い価格での販売を抑制する」ことを目的とした最恵国待遇(MFN)薬価に関する大統領令に署名しました。ここで日本にとって論点になるのは、日本の薬価が低いこと自体が、米国側の価格引き下げ交渉の材料になり得るという点です。その結果、企業が日本への新薬導入にいっそう慎重になれば、ドラッグ・ロスを加速させかねません。制度は流動的であり、2026年後半の動向によって前提が変わる可能性があります。
成長17分野⑪「創薬・先端医療」に置かれた意味
2026年7月21日、政府は「日本成長戦略」を閣議決定し、17の戦略分野を掲げました。創薬・先端医療は11番目の分野として位置づけられています。17分野の投資は「危機管理投資」と「成長投資」の2軸で説明されており、医薬品はこのうち健康医療安全保障(危機管理)と先端技術(成長)の両方に跨がる分野です。薬価が下がる方向の制度改定と、創薬に投資する方向の成長戦略が同時に走っている——この一見矛盾する2つを、企業側は同時に読む必要があります。
製薬会社以外にとっての接点はどこにあるか
創薬に直接関わらない企業にも、この分野には実務的な接点があります。分かりやすいのは3つの入り方です。
供給して乗る
受託製造(CDMO)、原薬・添加剤、製造設備、無菌包装、分析・試験、温度管理が必要な物流(定温輸送)など、医薬品は前後の工程が長い産業です。品質管理の要求水準が高い代わりに、参入後の関係は長期になりやすい領域です。
応用して変わる
医薬品の品質管理・トレーサビリティの手法は、食品・化粧品・機能性素材の分野に転用できます。逆に、製薬側の課題(治験の被験者募集、患者調査、医療従事者向けの情報提供)は、調査・マーケティングの技術がそのまま効く領域でもあります。
隣接需要を設計する
高齢化に伴う服薬支援、在宅医療の周辺サービス、健康データの活用など、医薬品そのものではない需要がここから生まれます。「製薬は自社と関係ない」と判断する前に、この3分類のどこに接点があるかを一度当ててみる価値があります。
用語の小辞典 モダリティ=薬の作り方の種類(低分子・抗体・ADC・遺伝子治療など)/ADC=抗体に薬剤を結合させ、がん細胞に選択的に届ける技術/長期収載品=後発品が出た後も販売が続く先発品/G1ルール=長期収載品の薬価を後発品価格へ段階的に引き下げる仕組み/Core利益=一時的要因を除いた事業の実力を示す非IFRS指標
新薬に集中できる企業と、制度に振られる企業
分岐A:新薬に集中した企業が伸び、長期収載品依存が縮む。G1の5年前倒しと革新的新薬薬価維持制度がセットで効き、研究開発に投資できる企業と、そうでない企業の差が明確になる展開です。中堅企業ではモダリティの選択と提携先の確保が生き残りの条件になり、CDMOなど周辺産業には受託需要が集まります。
分岐B:制度の不確実性が投資を止める。米国のMFN薬価や毎年の薬価改定が読みにくいままだと、日本市場への新薬導入が後回しになり、ドラッグ・ロスが広がる展開です。この場合、成長17分野で掲げた創薬投資と、実際の市場の魅力度が乖離します。どちらに転ぶかは、企業の努力より制度設計の安定度に依存します。だからこそ、この業界に関わる企業は、決算だけでなく薬価制度の改定サイクル(原則2年ごと、近年は中間年も改定)を自社のカレンダーに入れておく必要があります。
よくある質問
Q. 売上4兆5,057億円なのに営業利益62億円というのは経営が悪化したということですか?
本業の悪化ではなく、AMITIZAに関する米国の反トラスト訴訟の陪審評決を受けて訴訟引当金4,025億円を一度に計上したことによるものです。一時的要因を除いたCore営業利益は1兆1,725億円で、訂正の影響を受けていません。
Q. 製薬会社のランキングは資料によって数字が違うのはなぜですか?
決算期(3月期・12月期)、連結範囲、為替、医薬品以外の事業の扱いが集計元によって異なるためです。数百億円単位の差は生じるものとして、集計条件を確認したうえで使うのが実務的です。
Q. 薬価改定は何年ごとに行われますか?
診療報酬改定と同じ2年ごとの改定が基本で、近年はその間の年(中間年)にも改定が行われています。令和8年度改定は2026年3月5日告示・4月1日適用で、医療費ベース▲0.86%でした。
Q. G1ルールの5年前倒しは、どの企業に効きますか?
後発品が出た後の先発品(長期収載品)の売上に依存している企業です。今回の改定では対象が356成分812品目、うち5年前倒しで新たに加わったのが59成分145品目です。
Q. ドラッグ・ロスは患者にどう影響しますか?
海外で使える薬が日本では使えない状態が続くことを意味します。制度側の論点は、革新的な新薬に十分な価格を認めることで、日本市場を「導入する価値のある市場」として維持できるかという点にあります。
Q. 製薬業界と取引がない会社でも、この分野に接点はありますか?
受託製造・分析・定温物流・包装などの供給側、品質管理手法の応用、服薬支援や健康データなどの隣接需要という3つの入り方があります。成長17分野⑪の投資は、分野の当事者だけを対象にしたものではありません。
主な出典
武田薬品工業「2025年度通期業績および2026年度見通し」(2026年5月13日)/同「(訂正・数値データ訂正)修正後発事象による引当金の計上および『2026年3月期決算短信〔IFRS〕(連結)』の修正について」(2026年6月5日・訴訟引当金4,025億円、期末残高4,035億円、税務便益584億円、AMITIZA反トラスト訴訟の陪審評決額8億8,494万3,990ドル)/同 SEC Form 6-K(2026年6月5日)/武田薬品工業「Shire社買収完了のお知らせ」(2019年1月8日)および買収総額約6.2兆円・統合後売上313億ドル規模とする各報道(産経新聞・日刊工業新聞・日刊薬業/2019年1月)/厚生労働省「令和8年度薬価基準改定の概要」(革新的新薬薬価維持制度383成分653品目・維持額約273億円、G1対象356成分812品目、5年前倒し分59成分145品目、うちバイオ12成分41品目)/厚生労働省「令和8年度薬価制度改革の骨子」(PMPへの名称変更、Z2・G2廃止)/薬価改定率(医療費ベース▲0.86%・薬剤費ベース▲4.02%・国費約▲1,052億円)に関する2026年3月の各解説報道/内閣官房「日本成長戦略」(2026年7月21日閣議決定・戦略17分野⑪創薬・先端医療)/AnswersNews「【2026年版】国内製薬会社ランキング」および企業スコープ「医薬品業界の売上ランキング」(2〜10位の売上高)。売上高は集計元により差異があります。
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