資生堂と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは化粧品売り場の顔だろう。しかし資生堂は化粧品会社として生まれたわけではない。1872年、日本初の民間洋風調剤薬局として東京・銀座で創業し、化粧品事業に進出したのはそこから25年後の1897年だった。以来154年、資生堂は「薬を売る会社」から「化粧品を作る会社」へ、そして2021年には自ら「日用品を手放す会社」へと姿を変えてきた。2025年12月期には、5つの地域事業の稼ぐ力を単純合計すると997億円になる一方、本社コストを差し引いた連結のコア営業利益は445億円まで縮み、最終損益は407億円の赤字だった。本稿は資生堂154年の意思決定と2025年12月期の数字を一次資料でたどり、J-beautyという文脈の中での資生堂の実像を整理する。
資生堂 2025年12月期・要点数値
9,700億円 連結売上高(前期比2.1%減)|445億円 コア営業利益(同22.4%増)|407億円 最終赤字(前期は108億円の赤字)|1,600億円 2021年のパーソナルケア事業売却額
「997億円」対「445億円」——資生堂の”本当の稼ぐ力”はどこに消えるのか
2025年12月期のIFRS連結決算で、資生堂は日本・中国トラベルリテール・アジアパシフィック・米州・欧州という5つの地域事業のコア営業利益を単純合計すると997億円になる(決算短信〔IFRS〕・2026年2月10日公表)。ところが、この5事業合計から本社費用644億7,800万円、各セグメントへの配賦差額と原価差額の調整分をあわせた「調整額」551億7,900万円を差し引くと、連結のコア営業利益はわずか445億2,000万円まで縮む。本社費用の中身は「グローバルマーケティング戦略立案、商品開発、コミュニケーション・クリエイティブ開発、ブランド経営管理等に係る費用」と決算短信に明記されており、地域ごとの現場は稼いでいても、グローバルブランドを回す本社機能の重さが利益の半分以上を吸収している構図が見える。さらに親会社の所有者に帰属する当期利益は407億円の赤字で、この主因は後述する米州事業ののれん減損468億円である。
1872年、銀座の洋風調剤薬局が資生堂の出発点だった
資生堂の起点は化粧品ではなく薬局だった。1872年9月、海軍病院薬局長を辞した24歳の薬剤師・福原有信が、東京京橋区南金六町(現在の銀座8丁目)に日本初の民間洋風調剤薬局「資生堂薬局」を開業する。当時の日本では医師が自ら薬を調合する慣行が根強く、医師の処方箋に基づいて薬剤師が調剤する「医薬分業」というビジネスモデル自体が珍しかった。屋号「資生」は中国古典『易経』の一節「至哉坤元 万物資生」(大地の徳のもとにあらゆるものが生まれ育つ)に由来し、西洋医学の知見と東洋古典の名を重ね合わせた出発点だった。1888年には日本初の練り歯磨「福原衛生歯磨石鹸」を発売し、薬局から日用品メーカーへと業容を広げていく。
1897年のオイデルミンと1923年のチェインストア制度——「作る力」と「売る力」の発明
資生堂が化粧品事業に踏み出したのは1897年、化粧水「オイデルミン」の発売である。ギリシャ語で「良い肌」を意味する造語で、価格は当時としては高価な25銭。鮮やかな赤い液色から「資生堂の赤い水」と呼ばれて親しまれ、現在も系譜が続くロングセラーになった。もう一つの転機は流通面で訪れる。1923年9月の関東大震災で店舗・工場が甚大な被害を受けた後、当時の支配人・松本昇(のちの第2代社長)がアメリカ留学で学んだ手法を基に、同年12月「チェインストア制度」を打ち出す。問屋を資生堂製品専業の販売会社へ組織替えし、値引き競争を防いで小売店との「共存共栄」を掲げるこの制度は成功し、1927年6月には合資会社から株式会社資生堂へ改組、同年8月には販売会社制度を採用して流通の垂直統合を固めた。「作る力」と「売る力」を同じ時期に発明したことが、その後100年の営業基盤になっている。
1981年、外資系で最も早く中国に入った日本企業になった
資生堂は、外資系化粧品企業として最も早い時期に中国市場へ入った日本企業でもある。中国が中外合資経営企業法を制定した直後の1981年、北京の友誼商店や北京飯店など9つの大型商業施設で、資生堂の化粧品・石けん・歯ブラシなど60品目の販売を開始した。1983年には北京市の要請で技術協力協定を締結し、日本の化粧品メーカーとして初めて中国で技術協力を行う存在になる。1991年には北京市の企業と合弁で「資生堂麗源化粧品有限公司」を設立し、1993年に北京工場、1998年に上海(浦東張江)工場が稼働。現地生産・現地開発・現地販売を一気通貫で持つ体制を早期に築いたことで、2017年には中国が資生堂の海外最大市場になった。
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売上の35%を稼ぐ最大区分——「中国・トラベルリテール事業」3,422億円の中身
その中国事業は、トラベルリテール(空港・市中免税店での販売)と統合された「中国・トラベルリテール事業」として、2025年12月期に売上高3,422億円(現地通貨ベースで前年比3.5%減)、コア営業利益645億円(同10.4%減、売上比マージン18.7%)を計上し、連結売上高の35.3%を占める最大セグメントであり続けている(決算短信)。「クレ・ド・ポー ボーテ」や「NARS」が中国最大のEコマースイベント「ダブルイレブン」でけん引した一方、トラベルリテールでは中国・韓国の旅行者の消費低調が続き、減収を補いきれなかった。資生堂だけでなく市場全体が厳しく、Atlasのデータレイクが追う中国国産最大手・珀莱雅(PROYA)も2025年に上場(2017年)以来初の減収減益(売上105.97億元、前年比1.68%減)を記録しており、高獲得コスト・低成長という局面は外資・国産を問わない構造変化とみられる(Atlas datalake:prove.market-grid.china.cosmetics)。
2023年8月24日、処理水放出という一つの出来事が中国事業を直撃した
中国事業のリスクが表面化したのが2023年8月24日である。東京電力福島第一原子力発電所の処理水海洋放出が始まると、中国のSNS上で日本製品の不買を呼びかける投稿が急増し、化粧品は水産物と並ぶ標的になった。資生堂の同年7〜9月期の中国EC販売は前年同期比で20%超落ち込み、会社は同年11月10日、2023年12月期の連結業績予想を下方修正した(最終利益は280億円から180億円へ、売上高は1兆円から9,800億円へ引き下げ)。当時の藤原憲太郎社長(現CEO)は決算会見で「中国の消費者も冷静になってきている」と述べ、翌2024年の春節頃の平常化を見込んだ。実際、2025年12月期には中国事業の減収幅は縮小に転じている。もっとも2025年11月以降、日中関係は台湾有事を巡る発言をきっかけに再び緊張し、訪日中国人数は2026年上半期に前年比56.4%減という急落を見せたが、資生堂は「2025年12月時点の影響は限定的」と説明しており、訪日接点の縮小と中国国内の現地販売基盤の強さは切り離して見る必要がある(Atlas datalake:prove.market-grid.china.cosmetics)。
2021年、1,600億円でツバキ・ウーノを手放した日
収益性の低い日用品事業を切り離す決断も同じ時期に下された。2021年2月3日、資生堂は「TSUBAKI」「uno」「専科」「シーブリーズ」などのパーソナルケア(日用品)事業を、欧州系投資ファンドCVCキャピタル・パートナーズが投資助言するオリエンタル・ビューティー・ホールディングス(OBH)社へ1,600億円(EBITDA倍率約11倍)で譲渡すると発表した。会社分割で新設した「株式会社ファイントゥデイ資生堂」が事業を承継し、同年7月1日付で譲渡が完了、資生堂は持株会社の株式35%を保有する形で合弁関係を続けている。当時の魚谷雅彦社長CEOは「(日用品事業に)最も必要なのは宣伝広告費。CVCの資金力を活用して成長できると判断した」と説明しており、量が必要な日用品と、単価と技術力で稼ぐプレステージ化粧品を切り分け、後者に経営資源を集中させる決断だった。
2024年、社員の1割強・1,500人が去った「ミライシフト」
構造改革は人員にも及んだ。2024年2月29日、資生堂は子会社・資生堂ジャパンにおいて約1,500名を対象とした早期退職支援プランを発表し、5月10日の実施結果報告では1,477名の応募があったと明らかにした。対象は45歳以上かつ勤続20年以上の社員で、日本事業の従業員数(2023年12月末時点で約1万3,300人)の1割強に相当する規模だった。特別加算金など構造改革費用として約180億円を2024年12月期第1四半期に計上している。これは2023年に策定した中期経営戦略「SHIFT 2025 and Beyond」のもとで進めた「ミライシフト NIPPON 2025」というビジネストランスフォーメーションの一環であり、国内の商品数を2025年までに2割削減する計画とも連動していた。
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2025年1月1日、11年ぶりに社長が交代した
経営トップも入れ替わった。2024年7月30日、資生堂は2025年1月1日付でのCEO交代を発表する。2014年4月1日、役員経験のない外部出身者として資生堂史上初めて社長に就任した魚谷雅彦(前職は日本コカ・コーラ会長)が同年12月31日付で退任し、2023年1月から社長COOとして経営を並走してきた藤原憲太郎が社長CEOに昇格した。2019年から5か年計画で進めてきたCEOサクセッションプランニングの通りの移行で、魚谷は2025年1月以降、資生堂グループのシニアアドバイザーとして助言・人材育成支援にあたっている。約10年9か月にわたり資生堂を率いた「外部出身社長」の時代が終わり、生え抜き出身の新体制に移った転換点である。
のれん468億円の減損——米州事業だけが抱える「Drunk Elephantの誤算」
5事業の中で唯一構造的な問題を抱えているのが米州事業である。2025年12月期の売上高は1,065億8,400万円(前年比10.1%減、実質9.5%減)、コア営業損失は115億6,600万円に達した。2019年に買収した米国発スキンケアブランド「Drunk Elephant」のリブランディングに伴う在庫調整や、「NARS」の一部出荷の期ずれが響いた。収益性低下を受けて資生堂は米州事業の資金生成単位について減損テストを実施し、のれんの減損損失468億1,800万円を計上(回収可能価額の算定に用いた割引率は前期10.9%から12.1%へ上昇)、米州事業に配分されたのれんの帳簿価額は584億2,000万円から97億3,300万円まで目減りした。この減損は連結のキャッシュ・フローには影響しないが、親会社の所有者に帰属する当期利益が407億円の赤字になった最大の要因である。なお、資生堂アメリカズCorp.株式の実質価額低下により、個別財務諸表のみで関係会社株式評価損1,803億円を特別損失計上している点も付記しておく。
提案で起きやすい飛躍——「化粧品輸出3年連続減」と資生堂の海外事業は別の話
日本の化粧品輸出は財務省貿易統計ベースで2021年の7,906億円をピークに3年連続で減少し、対米輸出でも韓国(2,461億円)が日本(327億円)を大きく上回っている(Sellwell既報「J-beautyはなぜ世界で売れる『はず』なのに、輸出は3年連続減なのか」2026年8月1日付を参照)。この数字だけを見ると「J-beautyは苦戦している、資生堂も同様だろう」と誤解しやすいが、それは輸出統計と資生堂の海外事業の構造を混同した見方である。資生堂の海外売上の大半は日本からの輸出ではなく、現地法人による現地生産・現地販売(1993年の北京工場、1998年の上海工場など)を通じて計上されており、財務省貿易統計にはほとんど反映されない。実際、Atlasのデータレイクが追う台湾・香港・韓国・シンガポールの化粧品市場では、資生堂は今も百貨店の高価格帯カウンターを資生堂・カネボウ・コーセーとともに事実上占有し、米国でもSephora・Ultaといった大手専門店チェーンで「真の日本ブランド」の代表格として扱われている(Atlas datalake:prove.consumer-export.taiwan/hongkong/korea/singapore/usa.cosmetics)。「輸出額が細る」という現象と「資生堂を含む大手が海外で稼げていない」という話は、統計の建て付けが違うため、若手が最も混同しやすい一点である。
この先の分岐——2030中期経営戦略はどこで黒字転換に賭けているか
資生堂は2025年11月10日、2030年を見据えた「2030中期経営戦略」を発表した。2025〜2030年の年平均売上成長率を市場平均を上回る2〜5%、2030年のコア営業利益率を10%以上とする目標を掲げ、まず2026年12月期にはコア営業利益率7%(コア営業利益690億円、売上高9,900億円、親会社帰属当期利益420億円の黒字転換、3期ぶりの黒字)を達成する計画だ。この先の分岐は大きく三つある。第一に、最大の懸案である米州事業が「Drunk Elephant」のターンアラウンドを完遂し、黒字化できるかどうか。第二に、日中関係の緊張が再燃した場合、2023年の処理水危機で経験した「訪日接点の喪失」型の需要減が中国・トラベルリテール事業に再び及ぶかどうか。第三に、5事業合計で997億円を稼ぎながら本社費用等の調整額で551億円が消えるという構造が、「アクションプラン2025-2026」のコスト管理でどこまで圧縮できるか。154年前に薬局として始まった会社が、化粧品専業という選択の先で黒字を取り戻せるかは、この三つの分岐にかかっている。
よくある質問
Q. 資生堂はいつ、何をする会社として創業しましたか?
1872年、福原有信が東京・銀座に開いた日本初の民間洋風調剤薬局が始まりです。化粧品事業に進出したのは25年後の1897年、化粧水「オイデルミン」の発売からでした。
Q. なぜ資生堂は日用品事業を売却したのですか?
2021年、資生堂は「TSUBAKI」「uno」などの日用品事業を1,600億円でCVCキャピタル・パートナーズ系のOBH社へ譲渡しました。日用品に必要な大規模な広告投資をCVCの資金力に委ね、単価と技術力で稼げるプレステージ化粧品に経営資源を集中させる狙いでした。
Q. 2025年12月期はなぜ最終赤字だったのですか?
コア営業利益は445億円まで回復しましたが、米州事業の収益性低下を受けたのれんの減損損失468億円を計上した結果、親会社の所有者に帰属する当期利益は407億円の赤字となりました。減損は現金支出を伴わない会計上の処理です。
Q. J-beautyの輸出が減っているのに、資生堂はなぜ苦しんでいないのですか?
財務省貿易統計の「輸出」は日本からの出荷を数えるものですが、資生堂の海外売上の大半は現地生産・現地法人による販売です。中国・台湾・香港・韓国・シンガポールなど各国市場で資生堂は依然として百貨店の高価格帯カウンターを占める代表的な日本ブランドであり、輸出統計の減少とは別の物差しで見る必要があります。
Q. 2026年12月期の見通しはどうなっていますか?
会社は売上高9,900億円、コア営業利益690億円(利益率7.0%)、親会社帰属当期利益420億円の黒字(3期ぶり)を見込んでいます。米州事業の黒字化と、2030年に向けたコア営業利益率10%以上という中期目標の達成が焦点です。
主な出典
資生堂「OUR FOUNDERS」「5分で分かる資生堂の歩み」公式サイト/資生堂「資生堂の沿革」企業資料館資料(2022年)/資生堂チェインストア制度100周年ニュースリリース/Shiseido China公式サイト(沿革)/資生堂「パーソナルケア事業譲渡に伴う会社分割等に関するお知らせ」(2021年2月3日)「同・譲渡完了に関するお知らせ」(2021年7月1日)/日本経済新聞「資生堂『高価格品に資源集中』日用品売却1600億円発表」(2021年2月3日)/資生堂「早期退職支援プランの実施結果に関するお知らせ」(2024年5月10日)/日本経済新聞「資生堂、国内で早期退職1500人募集」(2024年2月29日)/資生堂「CEOおよび代表執行役の異動に関するお知らせ」(2024年7月30日)/読売新聞・産経新聞「中国で日本製化粧品の不買運動、資生堂が業績下方修正」(2023年11月10日)/資生堂「2025年12月期 決算短信〔IFRS〕(連結)」(2026年2月10日)/資生堂「2030中期経営戦略の策定について」(2025年11月10日)/Sellwell既報「J-beautyはなぜ世界で売れる『はず』なのに、輸出は3年連続減なのか」(2026年8月1日)/Atlas DataLake:prove.market-grid.china.cosmetics(2026年7月29日更新)、prove.consumer-export.{taiwan, hongkong, korea, singapore, usa, indonesia}.cosmetics。金額は各社公表の円単位・百万円単位を億円換算し、中国の元建て数値は原文表記のまま記載しています。
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