「見えないものを見る力」に宿る創造のエネルギー

想像のエネルギー

1.“見ろ”のヴィーナス

これは世界的に有名な「ミロのヴィーナス」である。誰でも一度はテレビや本などで目にしたことがあるでしょう。

ふとしたときに「この像はなぜ腕の部分が無いのか」と思い、調べてみました。

ミロのヴィーナス
引用:ミロのヴィーナス –Wikipedia

この像が発見された時点ですでに腕が無かったという説もあれば、誰かが腕を折って持って行ってしまったという説までありました。そして、これもあくまで一説に過ぎませんが、最初から意図的に腕の部分を創作しなかったという説もあります。

詩人・小説家の清岡卓行は『失われた両腕』という評論の中で、ヴィーナスの両腕が不在である理由を「想像力による全体への飛翔」と表現しています。つまり、腕の部分が無いことで、全体像への想像をより掻き立てる力があると述べているのです。

筆者はこれを読んだとき、なんと美しい発想で面白い視点なのだろうと感心しました。そして、この説が最も有力なのではないかとも思います。
「見えないものを見る」という発想はとても興味深く、想像力によって作品が持つ力を実物以上に増幅させることができるという解釈が魅力的だと感じました。

2.“見せない”カラヤン

アマチュアの領域ではあるが、筆者は趣味でオーケストラやアンサンブルの指導側に回り、指揮者を務めることがあります。

リズム、音程、音量、メロディーの歌い方、他のパートとの共鳴など、とにかく細かい技術面の指導をするのだが、なかなかこちらが意図した通りに改善されないと、つい苛立ってしまう場面も多いです(その時点で指導者としては失格ですが…)。

カラヤン
引用:カラヤン指揮:ベートーヴェン、ウェーバー、ロッシーニ、ワーグナーの序曲

これは世界的にも歴史的にも偉大な指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンです。

若くして世界最高峰のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に抜擢され、その独特な音楽解釈と指導法から数えきれないほどの名演を残しています。没後29年経つ現在も、カラヤンの名演は現在の音楽家にとって充分な参考書となっています。

マニアックな話になるが、筆者の持っているDVDの中にカラヤンの指揮だけをアップで映し、チャイコフスキーの交響曲第4~6番までをぶっ通しで演奏するという映像があります。

晩年のため激しい動きはないものの、すさまじい威厳をもって指揮棒を振っているカラヤンの姿が印象的な映像集です。もちろん、演奏は伝説に残る素晴らしいものです。

この演奏の何がすごいかというと、約3時間ある交響曲第4~6番の指揮中、カラヤンは一度たりとも目を開かないのです。写真のようにひたすら音に集中し、自分の世界観に没頭しながら約3時間の演奏を見事やり遂げています。

目を開かないということは、オーケストラの状況も把握できなければ、スコア(すべての音が記載されている指揮者用の楽譜)を見ることもできません。頼るのは自分の耳だけです。

後のインタビューでカラヤンが語った内容にも非常に驚かされました。なぜずっと目をつぶったままだったのか?という質問に対し、筆者は「音楽には耳さえあれば充分だ」といった回答をするのかと思っていたが、そうではありませんでした。

諸説あるが、カラヤンはこのとき「目は口ほどにモノを言う。オーケストラのメンバーに、カラヤンは何を考えているかわからないと感じさせ、見えないが故に奏者の想像力をかき立たせることで150%の力を引き出したのだ」と語ったといいます。

これはカラヤンのようなマエストロにしかできない芸当とも思えます。しかし、こと細かく技術や表現方法を指導・指揮したからといって、必ずしも指揮者が思い描く音楽を超えられるわけではありません。ならばいっそ奏者にゆだね、指揮者が思い描く音楽を超えてみさせようという試みだったのではないでしょうか。

3.「想像」させることで「創造」させる

先述したミロのヴィーナスのように「見えないものを想像させる」こと、そしてカラヤンが実行した「あえて見せないことで奏者の創造意欲に拍車をかける」という行為には共通点があります。

それは、どちらも受け取る側の心に何らかの刺激を与え、実物以上の魅力やパフォーマンスを引き出しているということです。

人は、優れたレクチャーを受けてその内容を100%理解したとしても、充分にパフォーマンスを発揮できないことがあります。一流大学を出ても社会で活躍できない人が少なからず存在するというのも、それに近しいと言えます。

そして、それはマーケティングにも通じるでしょう。クライアント様が戦略・戦術に困っている状況で、100%の情報提供をしても上手くいかないことが多いのです。というよりも、100%の情報を収集できないことのほうが多いのですが、それが逆に功を奏す場合があります。

仮に、弊社の仮説に基づいた100%の情報をもってマーケティング・コンサルを行ったとしましょう。しかし、それは弊社の誘導的かつ恣意的なメッセージに過ぎず、クライアント様はその情報を活用しきれずに終わってしまうのです。

それよりも、まずはクライアント様と綿密にコミュニケーションを取り、情報注入を部分的・段階的に行って先方の想像力を高めていきます。そして、次の手となる戦略・戦術に多角的な考えを持ってもらうことで、120%、150%、200%のポテンシャルをもって創造してもらうことが重要だと考えています。

平たく言えば、調査内容を高度な情報レベルで納品して「だからこうなんですよ!言いましたよね!」

と押し付けるのではなく、

「こういう情報が取れていて、次に進む方向性はA・B・C・Dの4つの方向性があると思います。Aの場合なら、次はこういった情報が必要になるでしょう、Bであれば…」

というように、徐々にクライアント様の思惑に寄り添いながら、着実にゴールを目指していくほうがレベルの高いコンサルティングだと最近は感じています。

情報過多な現代において、相手にとって本当に必要な情報を最適なタイミングで段階的に提供し、その先の判断材料を「想像」させ、未来を「創造」する。
「見えないものを見る力」とは、まさに今の時代に合ったマーケティング・コンサルではないでしょうか。

これは、ミロのヴィーナスのような歴史的作品、そしてカラヤンのような天才的偉人がわれわれに残してくれた大切なメッセージなのかもしれません。